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目で見る音楽Ⅰ

ああーああああああああああああ

松山のどこかにいいいいい

私をー待ってるー人がいるうううううう

いいいい日ーーたびーだちーーー

夕焼けをををを探しーーーにーーーーー

 

松山のターナー島に行きました。

 

 

 

ここ、四十島というそうなのですが、ターナー島という愛称で親しまれているそうです。

以下松山市のホームページより抜粋:

 

四十島は、周囲約135メートルの花崗閃緑岩かこうせんりょくがんでできた島である。夏目漱石の小説『坊っちゃん』に書かれた「青嶋」のモデルとなった島で、島に生えている松の形がイギリスの画家、ターナーが描く松に似ていたことから「ターナー島」と名付けられた。小説発表以降、ターナー島の愛称で広く親しまれている。

 昭和50年代に流行したマツクイムシの被害により、「ターナー島」の名称の由来となった松をはじめ、島に自生していた松はすべて枯れてしまったが、20年以上にわたる市民の植樹により、現在では20本を越える松が育成するに至っている。

 

 

 

ちなみに多分一番それに近かったであろうターナーの絵「チャイルド・ハロルドの巡礼」↓

 

 

イギリスの破天荒詩人バイロンの小説に基づく絵です。

 

 

違うんだ、観光に行ったんじゃないんだ。

 

 

3日間行って、初日は高校の弦楽部でレッスンして美味しいものを食べ、2日目は松山市コミュニティーセンターでコンサートして美味しいものを食べ、3日目に聾学校でレクチャーして美味しいものを食べ、2キロ近く増量して帰って参りました。

 

松山いいよ松山。

 

人も食べ物も自然も本当に素晴らしいです。

 

 

さて今日は、聾学校でレクチャーした内容を、自分の今後のためにもブログで残そうと思います。

 

テーマは「目で見る音楽」。

 

まずはフランスの象徴主義の画家G.モローによる「オルフェウスの首を持つトラキアの娘」。

 

愛する妻エウリディーチェを失った竪琴の名手オルフェウスは、冥界に向かい、その竪琴を奏でると冥界の神たちの心をほだし、「では妻を返してあげよう、しかし地上に戻るまでは決して後ろを振り返ってはいけない」という約束のもと、地上に戻ります。

しかし、もう少しで地上…!というところでついつい後ろを振り返ってしまったオルフェウス!約束は破られたので、エウリディーチェは再び冥界へ戻されてしまいました。

 

悲しみの中地上に戻ったオルフェウスは、アポロンを崇拝するオルフェウス教を作りましたが、「不敬である!」と怒った他の神から狂乱した女性たちを送られ、彼女らに八つ裂きにされ、川に捨てられてしまいます。

 

その首をトラキア人の娘が拾ったシーンがこちら!

 

 

オルフェウスの竪琴の上に、一説にはモローの顔もモデルにしていると言われているオルフェウスの首が乗っています。

 

右下には2匹の亀がいますが、これは「音楽」の象徴です。

というのも、同じく竪琴の名手アポロンが最初に作ったハープは、亀の甲羅に弦を張ったものとされているからです。

 

ちょっと難しい話になりますが、象徴主義の考えとしては、象徴派詩人P.ヴェルレーヌの言葉「何よりもまず音楽を」に見られるように、音楽がとても大事に考えられています。

象徴主義を語る上で外せない言葉が著作「ルネサンス」でW.ペイターが書いた「すべての芸術は音楽の状態に憧れる」という考えです。

 

モローもそういった音楽を絵で表そうとした画家の一人なので、この作品しかり、サロメしかり、非常に絵から音楽を感じられる作品となっています。

 

余談ですが、私はいつもこの絵を見ると、このトラキアの娘の外反母趾大丈夫かなって心配になってしまいます。

 

 

拾い上げられたオルフェウスの首はその後埋葬され、竪琴は、かわいそうに思ったアポロンが空に上げて星にしました。

それが、「琴座」になりました。

 

 

 

ちなみにそのアポロンを書いた同じく象徴主義の画家O.ルドンの絵がこちら↓

 

 

 

 

 

 

ルドンは人生の前半は版画師だった師匠の影響から白黒で絵を描きましたが、人生の後半では鮮やかな色で絵を描きました。

その後半生でも特に多く描いた絵のひとつが天馬の絵でした。

 

この絵は愛媛県美術館にあるそうなので、いつか私も松山にまた行った際は実物を見たいなと思います。

 

 

まだ続くのですが、練習しなければいけない時間が来てしまったので今日はここまで!