ラファエル前派とは、ヴィクトリア朝のイギリスで起きた芸術運動グループで、「ラファエロ・サンティ以前の芸術こそ至高!」という理念のもと、そういう芸術をやろうぜ!と出来た、象徴主義の先駆けとも言える7人組のグループでした。(この雑な説明で伝わりましたか)
有名なのはジョン・エヴァレット・ミレイ(画家)、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(画家)、ウィリアム・ホルマン・ハント(画家)で、そのほかの4人はウィリアム・マイケル・ロセッティ(文筆)、トマス・ウールナー(彫刻)、ジェームズ・コリンソン(画家)、フレデリック・ジョージ・スティーヴンス(文筆)でした。
実はミレイ、ロセッティ、ハント以外の4人は「7」という数字にこだわったこの3人によって数合わせで入会させられただけ感すごいので、最初の3人が特に名を残すことになりました。
ロセッティの絵。
「The Day Dream」(V&A美術館蔵)
モデルはウィリアム・モリスの奥さん、ジェーン・モリス。(ここらへんの入り組んだお話は次回のブログで)
ハントの絵。
「良心の気付き」(テート美術館蔵)
女性のモデルはハントの恋人、アニー・ミラー。
ラファエル前派は後世に強い影響を残したものの、活動期間はなんとたった5年間!
・芸術の方向性の違い
・女性関係
・ハントがパレスチナに絵を描きに行っちゃった
などの理由が重なって解散となりました。
ラファエル前派の特徴としては、
・自然を忠実に描く
・絵に何かしらの暗号や象徴を含む
・「スタナー」と彼らが呼ぶ、自分たちの理想像となる女性を描く
・絵を描くところのキャンバスをまず白く塗ってから色を乗せるので絵が明るく見える
・宗教を題材に取ったものが多い
などがあります。
余談ですがロセッティの女性関係はそれはそれはすごいものだったのですが、ハントがパレスチナに修行に行く時、自分の恋人で元娼婦だったアニー・ミラーの生活を心配して、ロセッティに「モデルとして使ってやってくれ」、と託して行ったところ、モデルとして接する以上のことが起きてしまい(!)、婚約までしていたのに破談となってしまいました。
有名なミレイのこの絵「オフィーリア」(テート美術館蔵)に描かれているこの女性
シェイクスピアの『ハムレット』よりオフィーリアが死ぬシーンを描いたものですが、モデルになったのはエリザベス・シダルという女性(ラファエル前派のスタナーでもあり、近年彼女も画家として活動していたのでラファエル前派に入れられる傾向も)で、後にロセッティの妻となりますが、ロセッティの女性関係で鬱状態になって自殺してしまいました(※彼女の死については「自殺説」と「薬の過剰摂取による事故」説とあるのですが、ラファエル前派の師とも言えるフォード・マドックス・ブラウンが彼女の遺書を見つけて隠したということがわかっているそうなので、自殺なんだろうなと思っています)。
ヴィクトリア朝のロンドンは大変貧しく、女性の16人に1人が娼婦で、テムズ川にはしょっちゅう絶望した女性たちが身投げをしていたそうなのですが、この絵の裏には実はそういった当時の社会風刺が入っているとも言われています。
全然私が話したい話に辿り着けない!!!!!
そういうわけでテート美術館に行ってきました。
夢のような壁。
ラファエル前派は最初はもちろん仲良くやっていたのですが、ミレイだけがロイヤル・アカデミーという協会の準会員に選ばれたことで、仲間内でもギクシャクし出してしまいました。
ミレイはその後の人生では準男爵の爵位をもらったり、割と死ぬ直前ではあるもののロイヤル・アカデミーの会長になったりしたのですが、絵は「ラファエル前派」から「唯美主義」へ変わり、肖像画(=芸術性を捨てた金稼ぎの為の仕事)や「ファンシー・ピクチャー」と言われる子供の絵を多く描き、「商業主義」という批判を浴びることもありました。
実際晩年にミレイの展覧会が開かれた時、歴代の自分の作品が会場に並べられたのを見たミレイは、(ハント曰く)「大衆の好みに迎合する誘惑に駆られ、より高い目標を見失ってしまった」ことから、泣きながら会場から失踪したそうです。
ということで、ラファエル前派巡り。
1848年にラファエル前派が発足した建物!!!
ミレイの実家です。
建物の右側にある青い丸が「ブルー・プラーク」と言って、イギリスで著名人が関わった建物についているマークだそうです。
気をつけて街中を見ていると本当にたくさんあるのに、ほっとんどわかりませんでした。(科学者とかも多く…)
こちらの場所は大英博物館のすぐ近くでした。
そしてこちらの建物。
ザンビア大使館。
なんとかつてのミレイの家!!!!
なんという豪邸。
家賃いくらなんだろう。
この道路から一番離れたところにある2階の奥の部屋がミレイのアトリエだったそうです。
しょっちゅうパーティーが開かれていて、招待客の中にはなんとワーグナー夫妻も!
結局ワーグナーは当日ドタキャンして、妻のコジマだけ来たそうですが、当時この邸宅に呼ばれることはすごい名誉とされていたそうです。
このザンビア大使館を少し先に行くと、
ホルマン・ハントの家(工事中)。
ハントはラファエル前派の中で唯一、最後までラファエル前派の信念を通して絵画を制作した画家でした。
いやしかし自分の住んでる家の目と鼻の先で、かつて同じ芸術を目指して共に歩んでいた友達が(言い方とても悪いけど)商業主義の絵を描くようになって、どんどん出世してあんな豪華な家に住んでいて、それでも一生友達やってたの、すごい。
私だったら毎日「きーっ!!!」ってなっちゃう。
こちらはサウス・ケンジントンにある、ミレイもよく訪れていたという世界初のデザインに焦点を充てたV&A美術館。
こちらの中には、ラファエル前派の影響を多大に受けて活動をした、第二次ラファエル前派・日本でも今大人気のウィリアム・モリスにまつわるものが多いので行ってきました。
この時に見たモリス製品のことや、物価が高くてのけぞったお話などはまた次のブログで。